自覚は突然に

 応接室の窓の桟に手を置いて、ヒバリは外を眺めていた。
 時刻はちょうど下校時間とかぶっているため、見下ろしたグラウンドでは、耐え切れないほど目障りに群れている生徒たちが歩いている。
(鬱陶しいな……)
 人でなし思考まっしぐらなことを考えながら、ヒバリは闇そのもののように黒い瞳をすがめた。その顔は整ってはいたが、醸し出される雰囲気のせいで、近寄りたいとはとても思えない恐ろしげな印象を周囲に与える。実際、ヒバリはその印象どおりの人間なので、印象と実物との齟齬は欠片もないのだが。
 眼下で群れている生徒を全て噛み殺せば、この鬱陶しいという気持ちもきっと治まるのだろうが、わざわざそれをするためだけに下まで降りていくのは億劫だ。単なるクラスメイトと、友人あるいは恋人と、ヒバリの眼下で並んで歩いている生徒たちは、そんな軽い理由で命拾いしたのだとは、想像もしていないに違いない。
 自分たちが今、どれだけの危機的状況にあったのかということを知らない彼らは、きっと幸福である。学校にいる間中、ヒバリの目に怯えて、誰かと共にいることを自重する必要性を感じることがないのだから。

 わざわざ群れている人間を見て、自分から不愉快になることもあるまい。ヒバリはそう結論付けて、窓から離れて書類仕事に戻ろうとする。
 しかし、視界の端に映ったある人物の姿に、ぴたりと動きを止めた。
(あれは……)
 ヒバリの視線の先には、ツナ――沢田綱吉の姿があった。ヒバリが一目置いているリボーンという名の赤ん坊が、目をかけている存在。普段はどこから見てもか弱い草食動物にしか見えないくせに、あるとき突然、まるで別人のように強くなる不可思議な少年。
 ヒバリは強いものが好きだ。だから、強いときの彼ならば、ぜひとも一度戦ってみたいと思っている。
 けれど、弱いときの彼には興味が無い。強くもなくて、群れることしかできない草食動物なんて、目障りなだけだ。
 そしてヒバリの気に障ることに、眼下に見えるツナは、覇気の欠片もない弱いときの方だった。獄寺隼人と山本武の二人と並んで、何が楽しいのか、へらへらと笑みを浮かべている。
 弱いときのツナの姿は、ヒバリの気に障る草食動物の典型だ。
(目障りだな……噛み殺そうか)
 不機嫌な顔をしたヒバリが、その表情に似合いの物騒なことを考えていると、それまで獄寺と山本と談笑していたツナが立ち止まり、唐突に後ろを振り向いて上を見た。多分、ボンゴレ血統特有に現れる超直感とかいうもので、何かを感じ取ったのだろう。
 バチリという効果音が聞こえてきそうな感じで、ヒバリとツナの目が合う。
 その瞬間、ツナは恐怖におののいたように引きつった顔になった。
(……気に入らない)
 どういう原理かは知らないが、いざとなればちゃんと強いのだから、ヒバリと目が合うぐらいで萎縮する必要なんてないのだ。大体、ヒバリには引きつったような顔しか向けないくせに、どうして他の人間には無防備な顔ばかり見せているのだ。気に入らない。
 そう思ったヒバリは、己の思考の不可解さに、思わず眉根を寄せた。取るに足らない草食動物のことなど、どうでもいいはずだ。
 自身の思考が理解できないことに、ヒバリはさらに苛立つ。
 一人を排除するだけならば、下まで降りていく必要もない。トンファーを投げつけて、不機嫌の理由となった人物を昏倒させてしまおうかと本気で思案していると、不意にツナがへらっと笑った。
 その笑みは明らかに引きつっていた上に、心からの笑顔と言うよりむしろ単なる愛想笑いにしか見えなかったが、それでも、それを見たヒバリは何故か毒気を抜かれた。訳の分からない苛立ちが、あっという間に昇華される。
 たとえどんな種類のものであろうと、滅多に向けられることのないツナの笑みにヒバリが呆気に取られている間に、ツナはぺこりとお辞儀をすると、立ち止まっているツナを怪訝そうな目で見ている山本と獄寺の元へと走っていった。
 それをぼんやりと見送って、ヒバリはぽつりと漏らした。
「……やっぱり、気に入らない」



◇ ◇ ◇



 それから数日後。
 昼休みに廊下を歩いていると、前から見覚えのある髪色をした少年がやって来るのが見えた。山積みのノートを運んでいるせいで、顔はほとんど見はしないが、染めているのとは違った色合いをした茶色い髪の色はひどく特徴的で、それが誰かということがヒバリにはすぐに分かった。
 ノートの重みのせいで、ふらふらとおぼつかない足取りの少年――ツナは、ヒバリが進む先にいることに全く気付いていないようだった。他の学生たちは、ヒバリの被害に遭うことを恐れて既に避難済みだというのに、何とも不運なことである。あるいは、単に鈍くさいだけなのかもしれない。
 しかし、ヒバリの言い分としては、何の理由もなく人を殴っているわけではない。群れを成している集団がいたら、それが鬱陶しいから排除しているだけであって、基本的に一人でいる人間が被害に遭うことはないのだ。あくまで、基本的にと限定されるが。
 そして今回は、ツナにとっては幸運なことに、その基本的な枠内から外れることはなかったのか、ふらふらと歩くツナを見ても、胸の内に苛立ちが湧いてくることはなかった。
 代わりに思うのは、他愛も無いこと。
(……ノート、崩れそうだな)
 そしてヒバリの予想に違わず、それから数秒後、ツナが手に持っていたノートの山は決壊した。バサバサと音を立てて、紙の束が床に落ちていく。
「ああっ……!」
 情けない声を上げるツナ。そしてすぐ、彼は諦めたようなため息を吐いて、床に散らばったノートを集め始める。
 数メートル先で行われた出来事に呆れ、ヒバリはすぐそこまで歩を進めて、床に膝をつくツナの前に立った。ちなみに、ノートを拾い集めるのを手伝おうとする気は皆無だ。ヒバリには、そんな親切心の持ち合わせはない。
「何やってるの、君」
「何って……えええええっ、ヒバリさん!?」
 見下ろしながらヒバリが言うと、ツナは怪訝そうな声で顔を上げて、即座にぴしりと凍りついた。背後に南極が見える。涼しいを通り越してもはや極寒だ。
「すすすすみません!すぐに片付けます!」
 誰も責めてなんかいないのに、ツナは青ざめた顔色をして言う。ヒバリが側にいるときは、いつもそうだ。ビクビクと怯えてばかりで、それがひどく気に障る。
 不機嫌丸出しの表情で、ノートを拾っているツナを見下ろしていると、ヒバリはふと、ツナの白い首筋に細いチェーンがかかっていることに気付いた。
「校内に装飾品を持ち込むのは禁止されてるはずだけど?」
「へ?」
「首のソレ」
 目を丸く見開いて、間の抜けた顔をするツナの首の辺りを、指で指してやる。
 見開かれたツナの目は、零れ落ちないのが不思議なほど大きい。数日前、遠目で見た愛想笑いもそうだが、ツナが怯えた顔以外の表情をヒバリに見せるのは、とても珍しいことである。
「ああ、違いますよ。これは、その……ボンゴレリングです。肌身離さず身に付けておけってリボーンに言われてるから、外せないんです。ヒバリさんも……持ち歩いてます、よね?」
「赤ん坊に言われたから、仕方なくね」
「はあ……そうですか」
 ようやくツナは全てのノートを拾い終えた。
「それじゃあ、俺はこれで……」
「君さ」
 ヒバリは、そそくさと立ち去ろうとするツナの腕をつかんで引き止める。
「どうしてそんなに、僕に怯えるわけ?」
「ど、どうしてって……」
 そんなの、これまでの貴方の行動を思い返してみてください!怯えるなんて、そんなの当然のことですから!というツナの心の叫びは、あいにくとヒバリには聞き取れなかった。
 ので、再び問い返した。
「ねえ、どうして?」
「……」
 ツナは答えない。怯えと困惑の入り混じった表情を浮かべるばかりである。
「……君を見てるとイライラするんだ。強いくせに、普段は」
「俺は強くなんてありません!」
「ボス猿との戦いで勝ったくせに、そんなこと言うんだ?」
「あれは……」
「言い訳なんて聞きたくない」
 ツナの言い訳を途中でぶった切ると、ツナは怯えたように肩をすくめた。
「そんな態度が気に入らないんだ……僕に対しても、笑えばいいのに」
 後半、何故かヒバリ本人にも理解不能な言葉が口から飛び出してきた。慌てて口を塞ぐが、それは遅かったようで、ツナは今聞いた言葉が理解できないような顔をしている。
 言い訳することを好まない上に、今の言葉についてはどう言い訳すべきか全く思いつかなかったので、ヒバリはとりあえずツナをトンファーで殴り倒してからその場を去って行った。
 ツナにとってみれば、災難以外の何物でもなかった。



◇ ◇ ◇



 それから一月ほどの間、ツナと会うのを意図的に避けて過ごしていた。会わなければ、自分の気持ちが訳の分からない方向に進むこともないと思ったからである。
 しかし、教室移動の際、あるいは登下校時に、時折視界の端に飛び込んでくるのはどうしようもない。目に入ったとたん、すぐに踵を返すようにして入るものの、ほんの一瞬でも見えるものは見えるのだ。
 ツナが、いつものとおり獄寺隼人と山本武と一緒にいて、楽しそうに笑っている光景が。そして、それを見るたびに理由が分からない苛立ちが胸の中に溜まっていくのだから、直接顔を合わせないようにしていても、あまり意味は無かった。
 会ったら会ったで苛立つし、会わなかったら会わなかったで苛立つ。いったい自分はどうなったのだとヒバリはずっと考えていて、その答えが出る日は、唐突にやって来た。



 その日、いつものようにヒバリが応接室で仕事をしていると、外の空気がやたらとざわめいているのを感じた。風が冷たくなってきたため、窓は閉めきっているはずなのに、ガラスを通しても隠し切れない空気の動きがある。
(……何だ?)
 不思議に思って立ち上がり、窓の外を見つめる。するとそこには、常ならぬ光景があった。
「あれは……!」
 ヒバリは一気に険しい顔になる。
 校門のすぐ側に、六道骸が立っていたのだ。黙ってさえいれば、骸はミステリアスでどこか異国的な美少年に見えるから、このざわめきも当たり前のものである。今は放課後。下校しようとする女子生徒たちが、頬を染めて騒ぐのも無理はない。
 しかし、ヒバリにとって骸は、今のところこの世で一番憎らしい敵。
 服の下に仕込んでおいたトンファーを取り出して、ヒバリは窓を叩き割り、校舎三階にある応接室から、少しとしてためらうことなく飛び降りた。
 その騒音に、グラウンドにいた生徒たちが振り向くが、全て無視だ。頭の中にあるのは、かつてないほどの屈辱をヒバリに味あわせた骸を叩きのめすことのみ。
 トンファーを手に持ちながら歩を進めると、周囲の生徒たちがざっと道を開けた。その道を進みながら、ヒバリは骸を睨んで言った。
「どうして君がここにいるわけ?」
「君には関係ありませんよ」
「あるよ。ここは僕の学校だ。君なんかが、勝手に足を踏み入れていい場所じゃない」
 そう言ってヒバリはトンファーを構えるが、それで殴りかかる前に、別の声が割って入ってきた。
「わー!!!ひひひヒバリさん!!駄目です、駄目!」
 ツナの声だ。
 振り返ると、ひどく慌てた様子で、ツナがこちらに向かって走ってきているところだった。そのままツナは、ヒバリの横をすり抜けて、かばうように骸の前に立つ。
「……邪魔するの?」
 それを見て、何故かいっそう苛立ちを煽られたヒバリは、酷薄に目を細める。
 ツナはそれを見て、怯えたような顔になるが、すぐに立ち直って強い口調で言った。
「します。骸のことが嫌いなのは知ってますけど、今は駄目です!これは骸だけど、体はクロームのものだから!」
「それが何だって言うわけ?」
 ツナが何を言いたいのか分からなくて、ヒバリは怪訝な顔になる。
 対して、ツナは唖然としたような顔になった。常識の差と言うか、認識の差は如何ともしがたい。それでもツナはがんばった。
「その……だから!女の子は殴っちゃ駄目です!」
「ソレ、男だけど」
「ああああ、そうじゃなくて……!確かに骸は男だけど……!」
 ツナは頭をかかえて苦悶した。
 そこへ、ツナの登場からこれまでずっと黙っていた骸が近づいて、ツナの頭の上に自分の顎を乗せた。そして背後から腕を回して、ツナを抱きしめるような格好になる。
「かばってくれてうれしいですよ」
「ひいいっ!おまっ、気持ち悪い真似はやめろ!!俺がかばったのは、お前じゃなくてクロームの方だよ!」
「同じことです。凪は、僕のものなんですから。ですが、小さくて弱い君に守られなくても、僕は負けたりしませんよ」
 最後の言葉は、明らかにヒバリへの挑発だった。
 しかし、ヒバリが沸点を越える前に、怒ったようなツナの声が響き渡って、それに気勢をそがれる。
「そうかよ!余計なことして悪かったな!っつーか、いい加減離れろ!大体お前、最近何なんだよ!新しい嫌がらせか!?こんなことばっかりしてき」
「分かったんです」
「は?」
「そうと気付いたら、他のものなんてどうでもよくなった」
「……あのー、骸サン、何が言いたいのか俺にはさっぱりなんですが」
「いいんですよ。ゆっくり分からせてあげますから」
 骸は優しげに目を細めて、ツナの首筋にかかるチェーン――正確には、そのチェーンに通されている大空のリングを手に取った。
「これがある限り、僕と君の縁は続く。今はまだ、それだけで満足してあげます」
 そう言って、骸はチェーンに通ったボンゴレリングに、軽いキスを落とした。
 限りない愛しさが込められたその仕草を見て、ヒバリの胸にどす黒い感情が広がる。そしてヒバリはその意味を、唐突に理解した。
(そうか……)
 自分以外に笑いかける姿を見て、苛立つ理由も。
 怯えられて、気に入らないと思う理由も。
 理解不能な思いは、全て一つの感情に起因する。
(僕は……この草食動物が好きなんだ)
 気付いてしまえば、あれだけ不可解だった己の心の動きも、不思議なものなんて何一つなかった。

●END●






【小説日本萌ばなし】のユーコ様より頂きました!!!!
ダメツナ設定で雲雀が自分の恋心に気がつくまで。というリクで書いて頂きました……。
私は、幸せを噛み締めております。
本当にありがとうございました・・・・・ッ


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07.07.13
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